-BlackSmith-

今夜はいい夜だ。

僕は講義の時間を待っていた。
さっきから二時間ほど、ここに座ったまま夜空を見上げている。
月明かりに照らされるニワトコが、寂しくも美しく佇んでいた。
ここが待ち合わせの場所。

あ……来た来た。

あぁ、また眼が悪くなったかな。
 たったこれだけの距離で迷子とは……


歩き疲れたのか、弱々しく片手を上げて挨拶する老人。
彼の名はリムンド・コッカー、齢312歳の地棲民だ。
でも、迷子と云うには歳を取りすぎている。

ランプが無きゃ迷いますよ、どうやってここまで?

足元が覚束ないようなので、僕は駆け寄った。
一息ついてから手拭いで顔を拭き、
どっこらしょと小岩に腰を下ろした。

これじゃよ、ほれ…お前さんの注文した物じゃな

岩肌のような手が物々しい柄を握り、鞘からそれを引き抜いた。

ブラック・スミス

凄い! 光ってる…これは…?

煙のようにぼんやりした光の粒は、留まることなく虚空を漂う。
彼が短剣を振ると、その光は軌跡を辿った。

ほっほ、お前さんこいつは初めてじゃったか

僕の反応が子供っぽいのか、
老師は孫を相手にするような顔になった。

僕が老師に注文するのは、単に物珍しい骨董品が好きだからじゃない。

彼等は、その特殊な能力から鉱脈を探り当てられる唯一の種族だと云う。
そして鉱脈は、霊脈に沿って流れるために神秘的な力を持っている。
その力を束ね、古くから伝わる儀式を重ねることで不思議な細工物を創り出す。

こんなに明るく光るのは初めてです。 本に載ってた……かなぁ

時の流れに子孫を減らし、今や高齢の鍛冶職人だけが「伝説」を繋いでいる。
細工物の力にも魅力を感じるが、それ以上に、老師に対して深い興味をそそられた。

蛍鋼(ほたるはがね)と云う鉱物じゃ。
 特別な叩きと焼き入れ、そして洗礼を施すと輝きが増すんじゃよ


そう、楽しみなのは注文した品だけじゃない。
こうした鉱物についての説明も、僕にとっては恵みの時間。

なかなか明るいもんじゃろ、初めて見る者は皆驚くわ

夜の暗さも手伝って、眼を閉じると残像ができた。

眩しいくらいだ…

短剣を鞘に収め、僕に手渡す時になって、
老師の手がぴくりと動いた。

…今夜は満月か

眼は、ほとんど見えないはずだ。
それに、さっきまで円い月が顔を覗かせていたのに、
今は分厚い雲に隠れて見えない。

いつも月齢を数えているので?

すると手元に視線を落として云った。

いやいや、こいつじゃ。
 こいつの騒ぎ具合でな、月の満ち欠けが判る


急に、この短剣を持った僕の手が強張った。
短剣の力なのか、それとも老師の云うことに緊張したのか。

へえぇ……

僕は何度か、短剣と夜空を交互に見たりした。
しかし僕には何も感じられない。
残念に思っていた矢先、雲の切れ目から月が現れた瞬間、
柄を握っていた右手に奇妙な感覚があった。
血の巡りが速くなるような、ムズムズするような感じがするのだ。

うひゃっ

自分でも情けないと思うような声が出た。

これは獣除けにもなる、明かりにもなる、
 どうじゃ、おまけとしては便利じゃろう


老師に妻子はない。
気付いているだろうか、僕が―――。

え……ちょっと待って下さい。
 それじゃ、老師はどうやって帰るのですか


数秒間、空気が固まった。

あぁ、さて、どうしたもんか…

本気で悩んでいるようだ。
思慮深く、とても頭の切れる人だと思うのだが、
こういう時に少々ぬけている。

送ります。 ところで昼間には会えないので?

老師と会うのはいつも夜中だ。
僕は構わないが、深夜に老師を呼び出すのは心配だから。

眼が潰れるわい。
 昼間の明るさは肌にも毒じゃからのう


云いながら、老師は顔をぺちぺちと叩いた。

女の子じゃあるまいし……
冗談じゃよ

心配は取り越し苦労のようだ。
この人は、ちゃんと分かっている。
気難しい彼から冗談が聞けるとは珍しい。

僕は、よろけながら歩く彼の背中に手を沿えつつ歩いた。
さっそく例の短剣を使ってみる。
抜き身の短剣が道なき道を照らし、辺りが神秘的な雰囲気に満ちる。
なるほど、こう考えると昼間に会うのは勿体ない気もする。

小柄な老師との身長差は、1メートルほど。
しかし、そうは思えないほどのがっしりとした体つき。
荷引き馬のような頑丈ぶりを思わせる背中は、小さな荷馬車にも見える。
僕は老師の歩幅に合わせ、時間を惜しむようにして会話を続けた。
このまま夜明けまで話していたいくらいだった。

棲み家までの帰りしな、僕は色々と質問した。
すると今度は、珍しく老師に質問されたのだった。

こんな爺とばかり付き合って、わしの後継ぎにでもなる気かい

僕は戸惑い、そして恐れた。
僕の愚か望みは、ひょっとして老師を怒らせはしないだろうか。
でも知りたかった。

……そうですと云ったら?

僕は、さっきよりもずっと情けない顔をしていただろうか。
老師はほんの少し僕の顔を見上げて、ふっと鼻息を吹いた。

勝手にせい

そう云うと、そっぽを向いてしまった。
杖がわりの木の棒で、道行く先の小枝を、ぱしん、ぱしんと叩く。
夜明けまではまだ遠く、湿気を帯びた木の葉が気持ちのいい音を立てた。

僕が送らないと手探りで帰る羽目になると云うのに、
老師は呑気に鼻歌を歌い始めた。
その内、僕もつられて歌いだした。

本当にいい夜だ。


■1999年作品
■[1024*768]
■[線画]

四つ葉のクローバーをアルコールに浸し、日向で放置すること一週間。
真っ黒なタール状の軟膏が出来たら、それを持って岩山へ行きます。
上着を裏返しに着て、悪戯好きの妖精から身を守るのを忘れずに。
そして軟膏を両まぶたに塗ります。
妖精を見るためには、これが必要になるのです。

ニワトコ(※)の前で、根気よく深夜を待ちます。
身長1メートルほどの小柄な人影が汗割れたら、それがドワーフです。
彼らは頑固で偏屈と思われがちですが、
礼節を重んじる誇り高い者たちです。

彼らが注文の代償に要求するのは、せいぜいボウル一杯の大豆くらい。
ただしその大豆は、収穫できた中でも品質の良いものを選びましょう。
彼らは地中での生活を旨としており、新鮮な食料を欠いているからです。
よくできた備蓄食料は、彼らに対しての礼儀でもあります。

商談が成立したら、彼が指定した夜に再び岩山を訪れましょう。
ちなみに注文するのは、出来れば使いやすい短剣などが良いでしょう。
細工物が小さければ、それだけ「工期」も短くて済みます。

彼に代償を支払えば、晴れて「精霊の短剣」はあなたの物です。

(※ニワトコ…現存する山草の一種)

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