後述のイラン国王ジャムシードを失脚させ、
その王座を盗み千年を支配した三頭の蛇王です。
また、アジ・ダハーカとは「ダハーカのドラゴン」と云う意味で、
「アジ」とは「災いをなすドラゴン」を指します。
アジ・ダハーカとザッハークは別ものとする説や、
ザッハークはアジ・ダハーカをモチーフにしたとする説もあります。
「ファリードゥーンとの戦い」、「アータルとの戦い」に登場し、
その姿は、前者が三頭龍(蛇)、後者は真ん中が人間の首です。
■ファリードゥーンとの戦い…(シャー・ナーメ)
ペルシャの叙事詩人フィルドゥースィーによって記された、
「列王伝」または「王書」とも呼ばれる「シャー・ナーメ」の中で、
ザッハークは砂漠の王マルダースの王子として登場します。
威厳こそありませんが、まだ人間だったようです。
ここで絶対悪「アンラ・マンユ」は給仕に化けて紛れ込み、
褒美を期待するふりをしてザッハークの肩に口付けをすると、
彼の両肩に醜い龍が生えるという呪いを受けてしまいました。
これは何度切り落としても再生しザッハークを苦しめます。
医師を呼び寄せた彼は呪いを解く方法を訊ねましたが、
その医師もまたアンラ・マンユの化けた姿であり、
「1日に2人の人間の首を落とせば呪いが解ける」と告げられ、
苦悩の果てに、これを実行してしまいます。
アンラ・マンユの目的は、この国を衰退させることでした。
悪に身を落としたザッハークは父王にまで手をかけ、
王位を得た彼は勢いをつけてイランに侵攻します。
一方、イラン国王ジャムシードは、
七百年間で国民に死者も出さなかったことでアラーの祝福を受けましたが、
それによって高慢な人物となり、民衆は愛想を尽かしていました。
そこにザッハークが現れ、ジャムシードの心に更なる悪意を注ぎ、
国王としての品格を徹底的に堕落させ、民衆の不信をあおりました。
結果、ザッハークは民衆の支持を得て王座をかすめ取り、
ジャムシードの首をノコギリで切って殺してしまいます。
こうして国を乗っ取ったザッハークはジャムシードの2人の妹を妻とし、
千年に渡って国を安泰させましたが、傍らでは悪行に手を染めており、
聖職者や正義感の強い者を次々と殺害していました。
そんなある夜、彼は自らを滅ぼすであろう英雄の夢を見ます。
その名は「ファリードゥーン」。
彼はザッハークに父親を殺されたものの、息子の身を案じた母親は、
まだ赤ん坊であったファリードゥーンを聖牛「ビルマーヤ」に託しました。
ビルマーヤのもとで修行を受けたファリードゥーンは、
16歳になるとザッハークの城へ向かい王を討たんとします。
しかし、ファリードゥーンが訪れた王宮には誰も居ません。
一方、ザッハークに17人の息子を殺された鍛治師「ガーウェ」は、
18人目の息子が生贄とされる前に、これを奪い返そうと民衆を集めます。
そこに居合わせたファリードゥーンが彼らと結束し、反乱が始まりました。
戻ったザッハークは、ファリードゥーンとガーウェの率いる勢力に倒れ、
ついに王座を失うことになります。
この後、
・「ザッハークの心臓を貫いて倒した」
・「デマヴァンド山洞窟に鎖で縛りつけて幽閉した」
以上、ふたつの結末がありますが、
後者はザッハークだけでなく「アジ・ダハーカ」の結末でもあります。
■光輪(アクワルタ・クワルナフ)をめぐる火神アータルとの戦い
アジ・ダハーカはアンラ・マンユによって生み出され、
邪悪なる者の中で最強たれとして作られたドラゴンです。
バビロン(古代メソポタミア地方)のクリンタ城を住処としました。
千の魔法を操り口からは毒と炎を吐き、
体には無数の害虫(ムカデやサソリ)を棲まわせ、
アンラ・マンユに敵対する最高神「アフラ・マズダ」の創造物を破壊します。
古代イランの聖典「アヴェスタ」の中の「ザームヤズド・ヤシュト」では、
アフラ・マズダの息子にあたる火の神「アータル」と、
帝王の権力を象徴する光輪をめぐって戦ったとされます。
「悪の光輪者(ドゥシュ・クワルナフ)」は、アンラ・マンユの別名です。
その後、英雄「スラエタナオ」がアジ・ダハーカを倒そうとしましたが、
その体を傷つけると傷口から害虫が溢れ出すため殺すことは出来ず、
デマヴァンド山の洞窟深くに幽閉したとされます。
(この結末が、先述のザッハークとも混同されるようです)
・Dragon
Conventionへ寄稿した二番目の作品です。
ややハードゴアな要素を加えましたが、この程度なら問題ない…と思います。
念のため、表現部の輝度を大きく落として猟奇性を下げました。
今回は迫力を落とした分、クリーチャーらしさに傾倒しました。
大戦斧は、紙面の都合で別線画になっています。
■聴いていた音楽
・Marilyn Manson……VODEVIL
・「メタモルフィック・フォース」サントラ……デスシャドウ
・「Baroque」サントラ……Namu Ami
・初期の作品(2001年版)は、描画ソフトを切り替えて間もない頃の作品です。
何もかもが勉強不足でした。 |